原発大事故現場で活躍されている方々に,深甚なる敬意と感謝を申し上げます。

2012年09月23日 17:17

 

 未曾有の災害がもたらした悲劇は取り返しのつかないものとなった。
「覆水盆に返らず」と諺にあるが,まさに想定内のことでなければならなかったと反省をする必要がある。
私たちの生活は,便利さ引き替えに多くのリスクを背負って生きている。そのリスクを解消するために,
さらに次の高みに登らざるを得ない。そして次のリスクが生じる。この繰り返しが便利さ発展の輪廻かも
しれない。学者でも専門家でもないので確信を持って言うのははばかるが,私のこの頭で考えても容易に
想像できる。まして,日本はたった60年余の間で戦後の復興を,世界の標準速度を遥かに超えた勢いで
成し遂げ続けている。世界の多くはこのことに驚きを隠せない。驚異とまで感じてきた。「日本に学べ」
とばかりに競争力を高めあってきた。日本は追い越されまいとしてさらなる戦略を練る。経済をどこの国
がリードしているとかいないとかの次元の問題ではとうに無くなっていて,常にどこの国が,自分の国が,
トップにいるかいないかで勝負しているのである。それに乗じて投資家の多くは,世界を動かしていると
いう自負の下,世界経済を元に戻すことが不可能な状況で,私たち庶民が頭で考えて理解できる限界を遥
かに超えたところで蠢いている。
 このような状況下にあって,この度の大災害がもたらした影響は計り知れない。これらの理屈や輪廻を
根底からひっくり返したような災害である。
 単に原発事故の問題だけにはとどまらない。人間の存在そのものにかかわる重大な課題を突きつけられ
たような気がする。人間は,たかだか100年ほどの宇宙暦からしてみれば一枚の紙の薄さにもにも及ば
ないくらいほんの一瞬の灯の生命体である。今回のプレートのズレにしても,地球規模からみればほんの
わずかなものであろう。しかし,地球に張り付いて生きている私たちの大地がわずかに動いてしまったの
である。一瞬にして,多くの生命の灯が消えてしまった。何と無情なことか私たち生命体の存在は,その
程度のものであることをもっともっと認識し覚悟しなければならない。そして,このちっぽけな生命体こ
そが,繋ぎ繋ぎ繋ぎして明日の生命にちっぽけな灯をリレーのようにバトンタッチして希望の絆を繋いで
いるのだ。「何と崇高な命のバトンタッチではないか!」
 そのバトンタッチを支え合って生きている私たちの生き様は,それぞれに短くも長くも,精一杯生き続
ける中で雄々しく燃え続けているのである。今この瞬間に生きている,生かされている私たちは,先に逝
ってしまった方々の分まで精一杯生き続けようではないか,この命つきるまで。
 こんな未曾有の災害のなかで,多くの献身が報道され,私たちの心に飛び込んでくる。
 私が今暮らしている郷里の方が今回の東京消防庁派遣部隊の統括隊長の一人として記者会見に臨んでい
るニュースがTVに流れた。彼の口からは,家族への愛と仕事への使命感,人間の尊厳と勇気,日々の生き
様と信念が語られていた。何と誇らしいことか。
 一方では,買いしめ行動やこの機に乗じた株等の売り買いによる利ざや稼ぎが行われている。
一概に不 見識なことは言うつもりはないが,決死の覚悟でご尽力いただいている方々の生き様とはあまり
にもかけ離れた行動であると思う。まして,ネット上での詐欺や詐欺振り込め募金等々に至っては心を打
ち砕かれる思いである。あげればきりがないし,これからもどんどん悪知恵のつきることはないであろう。
 人間は,常に善悪の境界線を生きている気がしてならない。理性と感情の揺れる中,どちらかにいるか
である。これは人間の性である。行為を否定しても人間を責めるつもりはない。
 「支え合うこと,愛すること,慈しみあうこと」が,むなしく聞こえない社会にしていきたいと願う。
 
 あらためて,逝ってしまった方々に心から「ありがとうございます」と念じたい。
 そして今,被災を受けながらも希望を持って頑張っている方々,ご尽力いただいている方々全ての人に,
これからもずうっと心を寄せていきたいと思う。